偽物の世界と、その利用用途

「世界が偽物だという感覚」(の無料部分のみ)を読んだ。

自分の結論から言うと、このような感覚は完全に正しいものであり、それは我々の認識モデル構造に由来している。

  • ただし全く違う認識モデルを採用している人もいるようで、そのような人はこの感覚を全く持たなかったりするのではないか、とも考えている。

結論としては、我々は現実物理世界の中で暮らしているのではなく、デカルト劇場( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%8A%87%E5%A0%B4 )の中で暮らしており、デカルト劇場というのは現実物理世界の写像ではあるけれど、現実物理世界そのものではない、言わば「偽物の世界」なので、

どういうことかというと、この世界は全部どっきりカメラのセットのようなもので、この世界が本当だと思って生きているのは自分一人で、自分以外の人間は自分を騙すために役割を演じているだけで、自分の見ていないところではみんな役割を演じるのをやめて休憩したり、どこかに仕掛けられているカメラで僕のことを監視しながら「あいつうまく騙されてやがるな」とか喋ってるのだ、という妄想だ。

このテキストの前半部分は、前述のデカルト劇場の構造に丁度当てはまっているので、正しい認識である。
そして後半部分については、このように想像してしまった事により、デカルト劇場の内部にそれを再現した部分が生まれる可能性があり、もしそうであれば、後半部分についても、現実物理世界には沿っていないものの、ある種の正しい認識ではあるとは言える。



ところで、さっき書いた「我々は現実物理世界の中で暮らしているのではない」という点に反発される人も多いと思うので、少し解説しておく。
我々は五感を持っているので、現実物理世界の極一部の情報のみ取得できる(遠くの金庫の中身を直接認識したりはできない)。具体的に取得できる情報は、眼球で光を、耳で空気の振動を、等々。
しかし眼球に入ってくる光は、そのままでは単に「眩しい」「暗い」「赤い」「白い」程度しか判定できない情報であり、これを正しく画像変換処理を行わない限り、「目の前に誰それが立っている」というような「認識」を行う事はできない。この辺りはコンピュータでの画像処理と大体同じだろう。
耳に至っては、空気の振動という一次元情報をを鼓膜の振動として受け取り、それを「音」という形で認識するのみならず、その連続するパターンを「言葉」や「音楽」として認識してすらいる!熱心に音楽を聴いている最中に、自分の耳の中の鼓膜の振動を意識する人はいないだろう。しかし現実物理世界から得られる情報はその空気の振動だけであり、「現実物理世界には『感じる』事のできる『音楽』は存在していない」のだ。音楽が存在できるのは空気の振動が翻訳された後のデカルト劇場の中だけだ。そして勿論、その音楽を聴ける我々も、現実物理世界に存在してる方ではなくデカルト劇場の中の住人の方、という事となる。

  • とは言え勿論、現実物理世界にある身体がスピーカーの前にいるおかげで音楽が聴けているというのも間違いない。要は「現実物理世界は現実物理世界としてあるものの、我々はそこにある物を直に『感じる』事はできない。『感じる』事ができるのはデカルト劇場の中にあるものだけ」という事。これの応用として「前に聴いた音楽を思い浮かべる」というような事もできる。「泣いても叫んでも1mは1m」というのは現実物理世界では真だけれども、デカルト劇場の中では泣いたり叫んだりしたら1mが2mぐらいになったりし得るのだ。

で。
物理存在としての我々は現実物理世界から逃れる事はどうあがいてもできないけれど(たとえ宇宙服を着て宇宙に行ったとしても、二次元には到達できない!)、デカルト劇場の中の我々であれば、ある種の抜け道がある、と考えている。


(中略)


そういう訳で、自分は、理想的なマイ宇宙を作り出せるもの各種の開発を行っている。
もしなんかあった際には協力していただけると助かります。
(なんかよくわからない締めになってしまった)



最後に、これを意訳すると「人は、自分の思った通りの世界の中で生きていく事しかできない」という、すごく当たり前の結論になる。
とりあえず、自分のデカルト劇場の中ぐらいは、自分にとって過ごしやすい環境になるように色々と努力しても損はないだろう。